ちょっと前、母校都立工芸高校の「アートクラフト科OB鍛金やりたい会」に行ってきました!
過去の自分と今の自分が同時に存在するような感覚を味わえて、色々思う事があったので書いておこうと思います。
私は庚(鉄)の女
参加したいと思った理由は高校時代、鍛金を専攻していたのもあるけど…
私の日干が 庚(かのえ)だから。
庚は、「鉄」の性質の人。
鍛金の道具は鉄が多いもんね。
庚の人は、鉄の可能性が全部自分の可能性になる。
自分との新たな出会いがあるかも!と思ってこれは行くしかないと即、申し込みました。
大好きな母校工芸高校
工芸高校の外観。いつ見てもステキ♡
なんだか高校生時代にタイムスリップしたみたい(≧∇≦)なつかしーーー!!
毎日何時間もこうやって作業してたな。
鍛金室で当時の私がいつも使っていたお気に入りの1番大きい木台をゲットできた!
(ちょっと出遅れて、空いてる台あるかな〜と探していたらこの台が空いてた!奇跡!o(*゚▽゚*)o♡)
色々な世代のOBがきてたよ(^ ^)
恩人の友人はワルだった!?
同級生のまっちゃん。
これは高校の卒業式のクラス写真。
工芸高校は科によって分かれてるからみんなずっと同じクラスで3年間を共にしました。
てかまっちゃん黒っ!!こう見えて彼の成績はいつもトップ!
私はクラスで1番バカでこの成績だと3年に上がれないと先生に言われそれを聞いたまっちゃんが勉強を教えてくれた。
本当に感謝 しています 。゚(゚´ω`゚)゚。
一緒に参加した友達が「まっちゃん本当に当時1匹オオカミでかなり尖がってたよね〜!本当に丸くなった!」って言ってて、
私が「えっっ!!いつ尖がってたの!?Σ('◉⌓◉’) 高校の時からずっと優しいし 私のまっちゃんのイメージはちょっとも変わってないんだけど…(・・?)」って言ったら
まっちゃんが「オレね、最初っからなんかなみちゃんだけには心開いてたんだよね〜」って笑
そうだったのー!!!?って3人でかなりウケた!!
まっちゃんが高校時代尖がってたって知らなかったの私だけだった笑
ちなみに中学の時はクラス全員のロッカーの扉を蹴り飛ばしてスケルトンにするくらい荒れていたらしい。^_^;
やめて〜!笑
私は昔からワルい人(いわゆる不良)やワルかった人にも好かれる事が多い。
私が思うに、ワルイ人って実は繊細な人が多いから、「コイツ本音で話してないな。」と「裏があるな」とかがストレートに感じてるんだと思う。
私は空気とか読まずバカ正直にバンバン思った事をいうし、人の影グチとかは言わないし(気に入らなかったら本人に直接言いにいく)裏切ったりしないから、それが伝わるのかな?
高校時代を思い出しながらの制作
この平らな銅板を少しずつ絞ってタンブラーの形を目指します!
高校時代何ヶ月かかけてやっていた事をこの日、1日で終わらせなきゃいけないから急がなきゃ!!
焼きなまし。
高温で熱すると硬い銅が柔らかくなります。
叩いて硬くなる→焼きなます
のサイクルを時間ギリギリまで15回くらい繰り返したかな。
うちの洗面所の排水溝にセットする網が欲しい!と言ったら私がタンブラーと戦ってるうちに先生とまっちゃんが交代で作ってくれていました笑
私は大人(特に学校の先生)に一切、心を開かない子でしたが、鍛金の神山先生だけは何故か好きで慕っていました。
なんていうか、誰にでもフラットで生徒を1人の人として信頼してくれて接してくれているのがわかって、子供心に「この人は裏切れないな」と感じていた先生だった。
まっちゃんは日本でトップの技術をもつギメルの職人。
…わお!!
普段、数百〜数千万のジュエリーを作ってるまっちゃんと定年退職された大好きな先生に作ってもらった排水溝の網は我が家の家宝ですね✨
2人に排水溝の網を作ってもらってる間にだいぶ絞れてきました!
これで 焼きなまし→叩くを7サイクルくらい終わったところ。この時点でもう手にマメができています(^-^;
さらに制限時間いっぱいまでこのサイクルを繰り返します。
本当はもう少し絞りたかったけど、タイムオーバー。。
参加者全員の作品を集めて記念撮影しました。
矢印が私の作品です。
高校ぶりの鍛金にしてはなかなか絞れた方だと思う!
限られた時間の中で本気を出したよ!!
過去の自分と今の自分まとめ
高校時代の私は、こんなにも恵まれた制作施設がありながら本気を出して何かを作った事は一度もなかった。
もちろん物創りは好きな事だから楽しかったけどね。
高3の時鍛金で造ったキリンは都知事を賞をもらったよ。
どうせ、一生やる事じゃない。
どうせ、上には上がいる。
そんなふうに思ってたかもな。
あの時と全く同じ金属を金属で叩くカン! カン! と響く強い音と手への振動を感じながらなんだか急に感動して涙が出そうになった…。
このこらえた涙は20年前 ここに座って金槌を振り下ろしていた『17歳の私』の嬉し涙だとすぐ分かった。
全く同じ場所で 同じ事をしている『37歳の私』が、自分自信を強く信じられるようになっているのを感じたから。
自分がやりたい事をただただ一生懸命に打ち込めるほど強い女性になっていると思えたから。
「私、今このままでもいいんだ…」という安堵の気持ちと
「幸せ!!嬉しい!!!」という幸福感がパーッ…と身体の中を通り抜けた。
この日、過去の自分と今の自分は間違いなく同じ場所にいて、会話をしていたのがわかる。
今までずっと好き勝手やってきて最悪と思われる事もあったけど、それでも私のどの時代も「あ〜、私は幸せモノだ」と思える自分がいたな〜。と気がついた。
これから先も死ぬまで自分らしくいきていこう。
と思った1日だった。